第二章





【 4 】

 月原の言葉を受けて、多村の中では京都に行く話が具体化していた。高速バスとフェリーの料金を比較したところ、やはりフェリーの方が安かったが、大阪に着いてからの電車代を考えると、どうやら高速バスの方が割安のようだった。松山インター前から、高速を使って京都駅まで学割の往復で一万とちょっと。これなら手が届かない金額ではない。

 問題は宿泊だった。安い民宿でも五千円は軽く越す。ホテルになるともっと高額になる。いっそ野宿も考えたが、さすがにそれはごめんだ。ジョイフルで泊り込みという手もあるが、なにも言わないこの辺りの店舗と勝手が違えば困る。

 月原の言葉を受けてから約一週間経ったある日、そんなことを考えているとチャイムが鳴った。多村は玄関に急ぎ、手招きすると、玄関の扉を開けて、「おじゃましまーす」と言いながら多村の親友が入ってきた。よく日に焼けた浅黒い肌に、癖の強い跳ね毛は実年齢よりも大人に見える。この和田浩一との付き合いは小学校らいのものだった。

 中学三年になって初めて同じクラスになったのはお互い喜んだ。部活はテニスで一緒だったし、去年の夏休みなど、部活が終わってからは毎日のように遊んでいた。和田を一言で表す言葉は見つからないが、あえて言うならばワイルド、とか熱い男、など中学生には不似合いな言葉ばかりだ。

「で、今日はなに?」

「英語。オレ、これがネックだろ?」

 和田はそう言うとスニーカーを脱いで廊下に上がった。

「数学は?」

「あれはまた今度」

「お前、家庭教師代取るぞ」

 多村は、そう冗談を言ってから、いつも通り和田に二階に上がるように指示して、自分はリビングに向かった。冷蔵庫から取り出したジュースのペットボトル、食器棚から取り出したコップ、おまけに戸棚からクッキーを取り出し、それらをおぼんに乗せるとリビングを出た。

 多村は二階の自分の部屋に入ると、先日整理した机の上にお盆を置き、そしてフローリングの床に折り畳み式の小さな机を開いた。「ほらよ」、「どうも」という短いやりとりの内に、多村がおぼんを小さい机に移すと、和田は英語の教科書を広げていた。

「なにが分からないんだよ?」

「強いて言えば、分詞?」

「強いて言わなかったら?」

 多村には答えが読めていた。それに気付いた和田はにやけながら自信満万に、「全部」と言い切った。多村は苦笑して辞書などと一緒に置いてある、大学入試レベルの文法書を手に取った。英語と数学しかない塾で、英語の特別なコースに指名されたものは、強制購入だった。

「じゃ、最初からやりますか?」

「多村先生お願いします」

「アホ」と多村は笑いながら言うと、三年生の教科書の最初から解説を始めた。

 それから二時間ほど後。

 なんとか時制について和田が理解した頃には、教える方の多村は疲れきっていた。

「お前は分かってんのか分かってないのか、はっきりしないとこがダメ」

「だからー、大丈夫だって言ってるだろ」

 和田はそう言いながら比較に悪戦苦闘していた。実は、高校入試レベルの英語は、ぼんやりと分かっていればいい、という一般論がある。それはなぜかと言うと、中学校三年間でやる英語は高校一年でもっと詳しくやるものの触りでしないからだ。高校では中学で少し知識をつけている、という風にしか考えず、中学校での英語教育に期待はしていないのが現状だ。多村はその現状を従兄弟から聞かされ、高校一年生レベルと言われる英検準二級が、中学卒業レベルと言われる三級とそれほど変わらないことを実感した上で、微妙な心境だった。

「英検準二級、これは?」

「これは不規則変化だから、最上級はbestになるわけ」

 そう言うと、和田は嘆くように言った。

「あぁ、もう意味わかんねー! 今日はこれぐらいにするか」

 確かに、時計ももう四時を指そうとしている。和田にしてはがんばった方だ。

「で、お前受験大丈夫なの?」

 気になった多村はそう聞いてみた。少し視線を泳がせた和田はあっさりと答えた。

「このままじゃ無理」

「んじゃ、どうするん」

「ダメモト」

「はなから私立狙いはだめだろ。言っとくけど、お前の夢はデザインなんだから、あそこしかないんだぜ」

 多村は少し真剣にそう言った。

 和田の夢はデザイン関係の仕事に就くことだ。それについては多村はよく知っていたし、和田にその才能があるのも十分に理解している。しかし、高校というのは才能だけで取ってくれはいない。もし和田がどこかのコンクールなどに作品を出品していて、それが高い評価を受けていれば別だが、残念ながら、そういうことはしていない。出品すれば入選は堅いという技量は持っているのだが。

 運動神経抜群の和田にそんな繊細な所があったと知ったのは、中学一年の時だった。あのころは漫画家になりたいと言っていた。今は少し方向が変わっている。だが、彼の才能は多村の素人目に見てもはっきりしているのだ。とにかく、なんでも打ち込むものにはとことん打ち込める男なのだ。

「それはオレが一番よく分かってるから気にすんなって」

 そう言われた多村が、少しぼうっとしていると、和田が顔をじろじろと見てきた。

「なに考えてんだ?」

「いや、実は京都に行こうと思ってんだけどね」

「マジ? 誰と?」

「一人」と答えた多村はコップを口に運んだ。すると、和田が信じられないことを口にした。

「じゃあ、オレ連れてけよ」

「は?」と素っ頓狂な声を上げた多村は、一瞬和田の言っていることの意味が分からず、固まってしまった。

「金どれくらいかかるんだ?」

「二万ぐらい……って、本気?」

「だめ?」

 そう言って多村の方を向いた和田に、「いや、かまわないけど」とボソッと言った。多村としては、同行してくれるのなら、もちろんうれしいが、お金もかかることだから止めるべきだと思った。

「オレは本気だぜ。中学最後の夏休みに冒険も悪くないだろ。金ならどうにかなるし」

 そう笑った和田に多村はなにも言えず、決まったら連絡する、とだけ告げた。





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