第三章





【 7 】

 一年前は、秋の目覚めを感じる暇もなく、石手川沿いのイチョウや楓も色づいていた。その紅や黄色の葉が散る様子はこの街に哀愁を漂わせる。

 福原の病状は悪化していた。京都の病院に移してやれないということが、そのなによりの証拠で、福原の母親、美智子さんはずっとこの病室で寝泊りしているようだった。大腿部にできた骨肉腫を手術で取り除く、と言われた福原の表情は見るに耐えないものだったが、今は大分落ちついていた。しかし、福原の足に掛けられている布団には山が一つしかなくなっていた。

 テニスは今までのようにはできなくなった。しかし、渚が生きているということが、溜まらなくうれしい。それが多村の心情だったのだが、彼女は入院を延期され続けている。それが多村には不安だった。

「でな、シャラポアのフォアハンドはちーとばかし変」

「あぁ、肘抜きショットだろ。でも、強いからいいんだよ。オレはヒューイットが好きだな」

「かっこいいねあの人。そやかて、フェデラーに勝ててへんで?」

「いつか勝つって」

 プロテニスの話で福原と多村は盛り上がっていた。しかし、「いつぐらい退院なん?」と多村が切り出したのが悪かった。

「知らへん」

 そう言われて多村はなに気なく美智子さんの方を向いた。すると、美智子さんはビクッとして微笑んだ。それを見た多村はベッドの影で見えない所で、ありもしない腕時計を見るふりをして、「ああ、もうこんな時間やん。じゃ、また来るけん」と言って、多村は立ち上がった。「うん、また来てや」と微笑む渚に手を振って多村は部屋を出ようとした。すると、美智子さんも立ちあがり、多村について病室を出て来た。

「おばさん……」

 多村はドアを閉めると、エレベーターに向かい、「渚さんは……」と聞いた。「ちょっとそこに座って話しましょう」と美智子さんはロビーの椅子に座った。

「転移してたんですか」

 そう多村が呟くと、美智子さんは頷いた。

「肺まで転移しているらしいのよ」

 多村はそれを聞いて、祈るような思いで、「助かりますよね」と問う。しかし、美智子さんは首を縦には振らなかった。

「片方の肺なら切除して大丈夫みたいだけど、渚はどっちも潰されてるから」

 美智子さんはそう言ってため息を付いた。話の方向を悟った多村は言葉を詰まらせた。まさか、渚が……いや、そんなことがあるはずない。多村は自分に言い聞かせた。

 転移するにはそれなりの時間が必要なはずだった。しかも、多村も一度だけCT検査を受けたが、あれだけのことをやって分からないわけがない。なんの知識もない多村はそう思った。

「今度、悪い方の肺を摘出して、化学療法に移るらしいのよ。いわゆる、抗がん剤治療ね」

 残る一つの肺にがんができ、そこに抗がん剤治療。それが、つまり延命治療だということぐらいなら、多村にも分かる。分からない方がいいことが、この世界にはあるのだ。

 話に聞いたところによると、渚の骨肉腫は普通のものではなく、転移性骨原発悪性線維組織球腫という特殊なもので、一般的治療法は確立されていないということだった。だから、足の切除までに時間が掛かったのだという。

「どれくらい……いや、いいです。すみません」

 多村が言葉を詰まらせて立ち上がると、美智子さんの声が後ろから聞こえた。

「もって半年。それまでに、なにか病気が併発したら、別なんだけど」

 美智子さんは多村の心中を見通していた。それを言われた多村は聞こうとしない方が良かったと後悔した。「失礼します」と頭を下げた多村は階段へと曲がり、踊り場で足を止めた。

 出会って何日だ。多村、霧島、村上と渚――この四人で過ごした時間、余りにも短すぎ、余りにも楽しくて大切だったその時が、なぜ目の前で途切れなければならない。もっと思い出を作って歩いて行くことができない。なんで渚を失わなければならない。

 もしこの世界に神様なんているのなら、思いきり殴り飛ばしてやりたかった。





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