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【 1 】 時間は刻々と過ぎって行った。体育大会も終わり、涙を飲んだ合唱コンクールも終わり、そして、文化祭も終わった。年の暮れに近づくに連れ、生徒たちの顔からは明るさは消えて行く。クラスの中には、目にくっきりとくまを作ってやって来ると、目の色を変えて授業を聞き、休み時間はぐっすり、という人間がなん人もいた。 受験戦争という言葉が生まれたのはごく最近の話だと、担任が言っていた。確かに戦争と同じだった。誰かを蹴落としてでも受かってやる、という気持ちがなければ生き残っていけない世界。だれかを殺してでも生き残るという戦場と同じ場所に立たされているという感覚は、みな、どことなく雰囲気から感じ取っていた。 十二月に入ると、この南国でもさすがに寒さが襲ってくる。生徒のほとんどはマフラーに手袋を着けて登校した。授業を真剣に聞いては、家に帰って勉強する。そうでない者もいるが、そのサイクルを繰り返す者が多い。そして、もう一つ生徒たちを苦しめるのが進路決定だった。そんな生徒たちにとっては、十二月二十四日という日にちも、例年ほどの賑わいをもたらすものではなかった いかにも雪が振り出しそうな、ねずみ色の雲を溜めこんだ空は独特の威圧感がある。そんな中、一日の終了のチャイムが鳴り響き、多村はぐっと背伸びをしてから道具を鞄にしまい始めた。 「多村、残れる?」 和田が多村の机に歩み寄ってきた、「うん」と多村が答えると、和田は自分の机へと戻って行った。 「これだけどな……」 多村は息を飲んで和田の目を見た。 多村は自分の書いた小説をプリンタアウトし、ファイルに綴じて和田に見せたのだった。ずっと見せる見せると言って見せていなかったもので、最近見せる気になったのは、自分の実力を確かめるためだった。才能があるかないか、そんなことを和田に求めているわけではなく、ただ自分の書いたものが、おもしろいかどうかだけ、知りたかったのだ。 そう、小説家というのが多村の夢だった。 「まあ、オレは詳しいこととか言えないから、他の奴に色々聞いてみたらいいと思うぞ。他人に見せても恥ずかしいもんじゃないと思うし」 多村はその一言を聞いても全く安心はできなかった。ただ、次に続く言葉が気になるだけだ。 「オレは、おもしろいと思うよ」 和田はそう言うとバッグを持って、「オレは生徒会室の工藤のとこに行くから、あれやったら誘えよ」と言った。「分かった」と小さい声で多村が頷くと、和田はなにか頷きながら教室を出て行った。 多村はしばらく教室で自分の小説に目を通していた。何度読み返しても、まだまだ未熟な点は多く、とても文学賞などに挑戦する気は起きないものだった。設定にも曖昧さがあるし、文章の形もまだ確立されてはいない。絵は何度も描いて上手くならなければならないのと同じように、小説だって何度も書いて、そして書き直して腕を上げるしかないのだ。 今日は一人で帰ろう。そんなことを急に思い立った多村は、鞄を持って立ち上がった。時には、一人で静かに考えごとをしながら下校というのも悪くない。そう思い、心の中で工藤と和田に謝りながら、多村は階段を降りて靴箱へと向かった。階段を降りると、正面に靴箱がある。多村は一番出口付近の自分の靴箱へとゆっくり歩いた。すると、多村のクラスの靴箱と向かい合っている靴箱の側面から人の姿がはみ出していた。靴箱の側面にもたれるようにして座っているようだ。 「月原、お前こんなとこでなにしてんだ?」 多村の接近に気付いていなかったのか、月原はビクッとして、目を擦ってから多村の方を向き、「なにって見たら分かるでしょ」と言った。そう言う月原の目は少し赤い。「あぁ、泣いてた?」と多村が吹っ掛けると、月原は多村を睨みつけた。 「バカッ! 本読んでたに決まってるでしょ、なんで泣いてないといけないわけ」 そう言われて月原の手元に目を落とすと、その手には確かに小説があったが、それは多村の記憶に新しいものだった。 「それ、泣けるだろ」 多村は、結果的に自分が先に読んでしまったその小説を見てそう言った。「うん」と月原は頷き、それから驚いたように、ばっと多村の方へ顔を向けた。 「いつ、あたしが読んでないって気付いたの?」と呟き加減で言った。「夏休みに」と多村が即答すると、月原は膨れてしまった。 「あっそ。嫌な奴。なんで気付いてたくせになにも言わないの?」 「相手の好意に気付いたら、わざわざそれを指摘する方が変だろ」 月原は大きな瞳を見開いて、さらに膨れ上がった。それを見た多村はこれ以上いじめるのは悪い、と思って話を切り替えた。 「それ読んで泣きよるってことは、もう読み終わったんよね」 月原は頷きもせず膨れているばかりだ。多村は、鞄から先ほどしまったファイルを取り出し、「それやったらさ、これ読んでみて、感想聞かせてくれない?」と尋ねた。月原が首を傾げながら青いファイルを手に取った。 「なに、これ?」 「オレの書いた小説」 どうやら事態が飲み込めていないらしい月原は困惑した表情を浮かべる。 「オレは小説家になりたくてさ。これがオレの夢。それで、それがオレの夢への第一歩かな。まぁ、クリスマスプレゼントだとでも思って読んでみてよ」 月原は戸惑いを隠せない表情で、柄にもなく頬を少し赤く染めながら多村を見上げた。そして意外な言葉が返って来た。 「夢か……すごいね」 多村が驚くと、月原は暗い表情になって俯いた。 「あたしなんか、まだ高校も決めれてないのに。多村は中央?」 「うん」と多村が答えると、「あたしも、先生とか親には中央とか南を勧められてるんだけど……ほんとは東山に行きたいんだ」と呟いた。中央というのは、この近くの中央高校、東山とは、東山産業のことだ。産業と言っても、農業、工業、商業、など様々な分野で活躍している高校だった。「それでどうしようか迷ってるわけね」と多村が言うと、月原は頷いた。 「バーカ。お前らしくないなぁ。いっつも自分の意志突き通すくせに、なんで自分の大事な選択でそんなに悩むんだよ」 月原は「けど……」と呟く。 「お前の行きたいとこ行けばいいんだよ」 その言葉に月原は目を丸くした。「お前はさ、親がどうだとか考えるかもしれないし、それは大切なことかもしれないけど、お前の行きたいとこっていうのが一番大事だろ?」と多村は言って、靴箱から自分の靴を取り出すと、段差に腰掛けてそれを履いた。鞄を持って立ち上がると黙りこくっていた月原が口を開いた。 「だから、多村は頭いいのに東とか南じゃなくて中央なんだ。英語するんだね」 「オレが頭いいなんてそんなことない。オレぐらいの奴だったらそこら中に転がってるだろ。オレは勉強じゃトップにはなれない。東大なんか行こうとも思わないけど、とうてい無理。だったら、自分がなんか得意なもん、一番になれるようなもん、これなら他の奴には負けんっていうもんをやった方がいいだろ。オレにとっては、それが英語だったっていう、ただそんだけだよ」 多村はそう言って無理に笑顔を作って、すぐに月原から顔を逸らした。「じゃあな」と言いながら靴箱から出て行くと、靴箱の中から、「ちょっと待ってや!」という声が聞こえたが、多村は無視して西門をくぐった。後ろからパタパタと月原の駆けて来る音が聞こえてきたが、足を止めはしなかった。その時、なにか冷たいものが頬に触れた。初雪か、そう思って、今ではなにもない田んぼの横を歩いていると、「まだ福原さんのこと引っ張ってる?」と後ろから大きな声で叫ばれ、足を止めた。 「そうだと思うよ」 そう呟いて多村は大股に歩き出した。そうだと思う、そんなのは戯言だ。間違いなく引っ張っている。その証拠に、お前に渚を見てるんだ。多村はそう思いながらも、それが許されないことだと悟っていた。多村が今想っているのは、渚としての月原で、そんな自分が許せなかった。 肩越しに振り返ると、はらはらと舞う初雪の中をマフラーを首に巻いた月原が走ってきていた。多村は頬を撫でた雪を手にとってから、小さく息をついて、すこし歩調を弱めた。 |