第四章





【 3 】

 あの日、学校が終わると部活をサボって病院に向かった。学校から走って家に帰るのに十分、そこから中央病院までが二十分ほどだった。しかし、その僅かな時間さえも多村にとっては惜しいものだった。今日で今週の学校は終わり、次の日、土曜日から三連休で、村上もこちらにやって来るらしい。

 いつも病室の扉をノックして開けるのには緊張するが、今日はいつにも増して緊張し、手に汗を握っていた。「失礼します」と扉を開け中に入ると、いかめしいまでの機器がベッドの横にあった。点滴もしているようだし、あれほどまで病人らしくなかった渚が、病人に見えた。

「こんちは。元気?」

「あのなぁ、元気やないさかい、ここにいるの」

 そう言いながら笑う渚の頬は少しこけているように見えた。渚は自分の胸に手を当てて、「もうこっちの肺ないんよ」と言った。多村は言葉が見付からず、「うん」と頷くだけだった。

「でも不思議やわ。片っぽ肺がなくなっても、人間生きれるんや」

 そう本当に不思議そうに呟き、多村に大きな瞳を向けた福原に、「人間、そう簡単にくたばらんっちゅう証拠」と言って笑った。

「抗がん剤の副作用ってきついんやわ。毎日熱出て……なんか息苦しいし。病気にかかったらだめって、変な点滴も打って。でも、がんばらなね」

 そう福原が言って、白い歯を覗かせながらはにかむと、美智子さんが、「ちょっと売店行って来るから、多村君お願いね」と言って病室から出て行った。

「こんなんに任せたらろくなことないっちゅーに。うちのおかんもアホよ」

「ろくなことないって、なんで」

 多村がそう言うと福原が上半身を起こそうとした。多村はそれを制し、ベッドとコードで繋がっているリモコンのボタンを押した。すると、ベッドの頭側が少しずつ持ちあがった。そして多村はベッドのすぐ近くの椅子に座った。

「変なことされたらかなわんもん」

 多村が、「変なことってなん?」と聞くと、渚は子供っぽい笑みを浮かべ、「なんでもない」と言った。

「いっつも心配してやってんのに、来たらからかわれてばっかりだし」

 多村がすねたように言うと、福原は多村を見た。

「いつも心配してくれよるん?」

「まあね」

「うちのこと考えたりするんや」と福原は目線を落とす。そして、「なんで」と呟いた。

「なんで、うちのことなんか考えよん?」

 そう言う渚の目は少し怯えているようにも見えた。しかし、なんでそんなことを聞くんだ、という気持ちの方が大きかった。答えは一つしかないのに、と多村が思ったのと、渚の視線が多村の心に訴えかけるのは同時だった。

「オレは……お前が好きだから」

 多村はそう言って渚の目を見た。白い頬に赤みが指して、渚は目を伏せた。

「アホ……どアホ、うちも、あんたのこと好きや。大好きや。なんで好きなんか分かんのに……」

 渚の伏せた目から一筋の涙が赤く染まった頬を伝わり落ちた。その雫に目をやった刹那、多村の唇に柔らかいなにかが触れていた。それがなにか気付く前に、涙をこらえながらいたいけな笑みを浮かべる渚が目の前にいた。

「奪っちゃった」

 そう言った渚をぎゅっと抱きしめ、気付かれないように、多村は涙を流した。





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